時間の連続性から自由になる。
時間の連続性から自由になることが、大切だときづきました。
これだけじゃ、何を言っているのかわかりにくいですよね。
それは、例えばこういうことです。
家の中に、ハエが飛んでいたとします。
このハエを何とかして窓から追いだそうとします。
苦労して窓から追い出して、ほっと一息ついたと思ったら、その目の前をまた、ハエが横切って飛んでいます。
もう一回、追い掛け回して、追い詰めて、もう一回窓から追い出しました。
もういないだろう、と思って壁に目をやると、白い壁に黒い点がひとつ、もう一匹です。。
ここまで来たら、途中で辞めるわけに行きません。
手に持ったバスタオルで上手に追い詰め、窓際に追いやり、見事に窓の外に飛んでゆくのを見送りました。
やった!
でも果たして、追い出したハエは3匹だったのでしょうか?
それとも、一匹のハエを追い回していたのでしょうか?
つまり、追い出すのに2回失敗して、3回めにやっと成功したのか、
3回成功したのか、の違いですね。
時間から自由になると、それはどっちでも同じことになります。
目の前にハエがいた、追い掛け回して、追い出した。
それが3回繰り返して起こった、それだけです。
目の前の出来事に、毎回全力で対処した、それが3回起こっただけですね。
ところが、時間の連続性に縛られると、ややこしいことになります。
前の2回は、失敗だったんだろうか?そうだとしたら、なんだか腹が立つなあ。
2回も失敗して、ようやく3回めで追い出せたなんて、ハエのせいで飛んだ時間の浪費をしちゃったよ。
そんなふうに考えて、ネガティブな気分になってしまうかもしれません。
お気づきだと思いますが、これはいろんな事に当てはまります。
何度やっても失敗続きのとき、嫌気が差すのは自然かもしれませんが、
「何度もやったのに」という、時間の連続性を気にかけすぎて、余計に嫌気が増していることは、ないでしょうか。
僕は、よくあります。
でも、時間の連続性にとらわれず、前回とのつながりを意識せず、今が初めてのような感覚で挑めば、そこに嫌気はさしません。
今、この瞬間に生きることが大切だ、と最近メッセージを繰り返し受け取るのですが、
それは、時間の連続性から自由になることも含まれていると、気がつきました。
過去を意識しない。今が初めての感覚で挑む。結果という未来も意識しない。
ハエさんのおかげで、大切なことに気づくことができました。
ハエさん、ありがとう。でも、もう家の中には飛び込んでこないでね。。
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