今、この瞬間にしっかり存在しよう。
愛犬パズーを見ていると、「ひょっとして、犬のほうが幸せかも?」と思うことがあります。
そのわけは、パズーはいつでも、今を全力で生きているからです。
「さんぽ!」と言った瞬間に大喜びで部屋中を駆けまわり、ダッシュで突進をかましてきます(結構痛い)
奥さんが仕事から帰ってくると、毎晩、大喜びでダッシュ&突進をかまします(結構痛いようです)
「パズー」と呼べば真剣な顔で、全神経を集中してこっちを見ます(外に出ると、聞こえないふりをしますが)
なんというか、「今、この瞬間」に真剣なのですね。
たぶん、人間ほど過去や未来への概念が発達していないからかも知れませんが、
だからといって、不幸には見えません。
むしろ、今、この瞬間に集中している様子を見ると、常にしあわせの中にいるように思えるのです。
喜ぶ時も、悲しむ時も、怖がる時も、楽しむ時も、「今、この瞬間」に起きている出来事に100%向き合っているのですね。
それに比べると、私たちは過去や未来へ意識を向けて、そこを相手に生きていることが多いように思えます。
例えば日曜の夜、「明日の仕事、ゆううつだな」と考えて、せっかくの夜の時間をブルーな気分で過ごしたり、
「あの時、こうしておけばよかったのに。。」と、過去の出来事を悔やんで落ち込んだり。
言い換えれば、過去や未来を生きているようなものですね。
色んな本を読んでも、自分の体験でも、こうした状況はしあわせを遠ざけるように感じます。
はじけるようなしあわせの瞬間は、やっぱり、「今、この瞬間」にしかないように思うのです。
過去のしあわせな思い出や、未来のすてきな計画に思いを馳せるのも、悪くはありません。
でも、それが人生の大半を占めるようでは、やはり本当のしあわせではない気がします。
それに、過去のしあわせな思い出を作ったのも、未来のすてきな計画を実現するのも、「今、この瞬間」があってこそです。
スピリチュアルな考え方では、過去と現在、未来は同時並行で起こっていると言います。
いわばTVのチャンネルを切り替えると、別の番組が見えるように、同時に起こっているといいます。
そして、現在が変われば、過去や未来も変化する、とさえ言います。
確かなことはわかりませんが、三次元的な感覚でも、次のことは起こります。
まず、今がしあわせで充実すれば、過去の出来事も肯定的に受け入れることができます。
また、今が幸せなら、未来にも前向きになれます。
その反対もしかりです。
今、この瞬間が幸せなら、過去や未来も幸せとして受け入れられる。
いえ、今、この瞬間に100%集中していれば、そもそも、過去や未来を思う暇がありません。
つまり、過去も未来も存在せず、ただ、「今、この瞬間」があるだけです。
わたしたちも生きてきた中で、そうした感覚を何度となく体験してきたはずです。
あの感覚は、心地よいものですし、振り返っても、ふしぎな充実感に満たされています。
毎日、毎秒をあの感覚の中で生きられたら、しあわせだな、と思いませんか?
そして、生きるということは、そういうことじゃないかな、と最近は強く思います。
過去や未来に意識を飛ばして生きるなら、わざわざ三次元に人として生まれてくる必要は無い気がします。
三次元に肉体を持ち、時間という制約を持った世界に生まれてきたのは、「今、この瞬間」を体験するためではないでしょうか。
生命とは、たぶんそういう存在なのだと直感します。
自然や野生動物が輝いて見えるのは、「今、この瞬間」を全力で生きているから、
過去や未来に振り回されている自分自身に、大切なことを教えてくれるから、かもしれません。
激動の変化が当たり前になってきた今だからこそ、
過去や未来に振り回されずに、しっかりと「今この瞬間」に意識をおいて生きることが大切なのですよ、と
宇宙が教えてくれているように感じます。
せっかく与えられた大切な人生ですから、しっかりと「今、この瞬間」に生き続けようと思います。
葵優太
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