5月のセッション 1
「飼ってもいない猫の病気を心配する」人がいたら、あなたはどう思いますか?
きっと、ムダな心配をしてるなあ、と呆れるでしょう。
ですが、実は同じようなムダな心配を、私たちはしています。それもほぼ毎日。
どういうことでしょうか。
たとえば、友だちに電話しようか、迷っているとします。
久しぶりにお話したいな。
でも、特に用事もないし、忙しかったら悪いし、相手が乗り気じゃなかったら迷惑だし。。
こんなふうに色々と悩んで、心配すること。
あるいは、
久しぶりのお休み。天気もいいし、新しい服を買いに行こうかな?
でも休日だし、天気が良いから、きっと道路も混んでいるだろうし、駐車場もいっぱいかも。
苦労して出かけても、いい服が見つからなかったらガッカリだし。。
こんな風に考えて、せっかくの気持ちを台無しにしてしまうこと。
そんな経験はありませんか?
これは「飼ってもいない猫の病気を心配する」のと同じです。
つまり、まだ行動していないのに、その先に起こるトラブルを心配し、憂うつになる。
未来に起こるかもしれない悪いことを考えて不安になる。
これをムダな心配、取り越し苦労、ともいいますね。
ムダな心配の、何が悪いのでしょうか?
今を楽しめなくなる、ことだと思います。
友達に電話しようか迷っている時、意識は未来に飛んでいます。
買い物に行こうか迷っている時、未来のことで思い悩んでいます。
そうしている瞬間は、楽しくない。
心配、不安、こうなったら嫌だなと考えている時は、今を台無しにしています。
こういう言い方もできます。
心配、不安は、今を楽しんでいるときには起きない。
なぜなら、今に夢中になっている時、心配、不安が入り込む隙間がなくなるから。
友達に電話しても、だいじょうぶかなと不安になるのは、電話する前。
いざ電話をかけたら、そんな気持ちは吹っ飛びます。
ただ、電話に夢中になるだけ。
買い物に行ってもいい服がなかったらどうしよう、不安になるのも、出かける前。
いざ出かけたら、夢中で(あるいは血眼で(笑))いい服を探すだけ。
意識は買い物に全力集中しています。
目の前のことに夢中になっている時。
意識は今に集中していて、未来への心配、不安は存在できません。
そして、ふしぎなことに、夢中になっている時は、なんであれ楽しいのですね。
庭の草むしりでも、洗濯でも、パソコンでのタイピングでも、夢中になれば、それは楽しい。
今できることに夢中になれば、それは楽しい。
これは、実はすごいことを教えてくれています。
何でしょうか?
楽しい=結果と無関係。
言い換えれば、しあわせは、結果に左右されない。
私たちは、良い結果、望みどおりの結果が得られることを望みます。
それを楽しいこと、しあわせだと考えている面があります。
当たり前だと感じますか?
でも、望みどおりの結果と、それが楽しいかどうかは、無関係です。
なぜなら、楽しいとは、今起きること。
望みどおりの結果とは、その後に起きること。
楽しい、しあわせ=今 結果=未来
楽しい体験が来て、その後に結果が来る。
つまり、しあわせは結果に左右されない。
友達に電話すると決めた瞬間、その瞬間に心はふわっと楽しさを感じます。
電話の呼び出し音が鳴っている間、ドキドキ、ワクワクしています。
今起きていることに夢中になっている、このリアルな感覚。
生きている、と感じませんか?
未来を考えている時、こうしたリアルな感覚はほとんど味わえません。
もし、未来のことでワクワクできるなら、それは考えではありません。
あなたのイメージ空間です。
イメージ空間の中で、今を体験し、味わっているということ。
本を読んだり、映画を見たりしている時、この感覚を味わえます。
あなたはその瞬間、イメージ空間を存分に楽しんでいます。
楽しい!嬉しい!しあわせ。。生きてる!
私たちが人生に求める幸福の感覚は、リアルな、ナマの感覚。
それはあまりに生々しく、新鮮で、今しか味わえません。
今を楽しまない。
それは、バニラアイスを目の前にして、美味しくなかったらどうしよう、と悩んでいるようなもの。
そんな人を見たら、あなたはなんて言うでしょうか?
食べたら分かるじゃない!
美味しくなかったら、残せばいいじゃない!
客観的に見れば、ツッコミどころ満載なのですが、
でも、私たちの思考の大半は、こんな笑っちゃうような内容です。
未来のことを心配していると気づいたなら、
飼ってもいない猫の病気を心配していると気づいたなら、
そんな自分の思考にツッコミを入れてみましょう。
やってみたらいいじゃない!と。
いくら考えても永遠に答えが出ないことも、
やってみれば一瞬で答えが出ます。
このサイコロを振ったら、どの目が出るか。
答えはいくら考えても出ません。
答えが知りたいなら、サイコロを振ればいい。
そして、出た目に応じて、進んでゆきましょう。
ある意味では、人生はその繰り返しで進んでゆくのですから。
葵優太
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