1月のセッション 5
人間関係で最も役に立つスキルをひとつだけ、と言われたら、何を挙げるか?
カウンセラーとしての経験から言って、僕は「聴く力」を挙げます。
聴く力とは、相手の言葉を通して、その奥にある思いを理解する力、と言えるでしょうか。
相手を理解できると何が良いのか?
その人との関係が、ぐっと楽になります。
なぜなら、理解できない人を相手にするほど、疲れることはありませんからね(笑)
理解するというのは、相手に同調する、とは違います。
例えるなら
「私は青色の服が好き、でもあなたは、赤い色が好きなのね。わかったわ」
というのが理解です。
ちなみに、
「服は断然青が最高。赤なんてありえない」
というのが無理解な態度。
「あなたが赤がいいんだったら、私も(無理をして)赤に合わせるわ」
というのが同調したがる人。
「好きな色?今キミの着ている服の色さ」
と言ってのけるのが色男です(笑)
理解とは、自分と相手の違いを知り、その違いを大切に扱う態度、とも言えます。
違ってもいい、同じじゃなくてもいい、これもアリ、それもアリ、そんな感覚でしょうか。
理解とは、相手を好きになることでもないし、嫌いになることでもありません。
理解とは感情抜きの、客観的な認識です。
理解できる=好き、ではないし、理解できない=嫌い、でも無い(と僕は理解しています)。
ですから、嫌いな相手でも「理解」することはできます。
理解すれば、嫌いな相手であっても、関係が楽になります。
むしろ嫌いな相手、相性の悪い相手ほど、理解する必要があるかもしれません。
また、人間関係のトラブルは、ほぼ確実に、相手への理解の不足(そして自分の理解の押しつけ)から生じます。
たとえば、仲のいいカップルの間で
「この唐辛子チョコ、美味しいから食ってみろよ」「いやよそんなの」「絶対美味しいって、いいから食ってみろって」「嫌だって言ってるでしょ!」
たったこれだけのやり取りで、いっぺんにまずい空気になります。
彼の理解の仕方は、こんな感じでしょう。
この唐辛子チョコは最高にウマイ → だから彼女も気に入るハズだ → 喰わせればゼッタイわかる
(彼はそのうち振られることになるでしょう)
では、振られないために、彼はどうしたらいいでしょう。
「オレ、この唐辛子チョコ好きなんだよね」「ふうん」「ここに置いとくから、よかったら食ってみて。ダマされたと思って」「うん」・・・(オエッ、激マズ!)
これなら、とりあえず振られることはなさそうです(チョコは彼女の口には合わなかったようですが)
今度は彼の頭の中はこんな感じでしょうか。
(オレはこのチョコ好きだけど、コイツにはどうか分かんないな。いちおうダメ元でオススメしとくか)
こんな風に、自分と相手が違うことを想定し、それを受け入れる余裕をもつことも、理解といえます。
言い方を変えると、
自分の、相手に対する期待がハズれても(ハズれたときこそ)、それを(穏やかに)受け入れる態度
が理解だと言えるでしょうか。
カンタンだね、と思った人は、残念ながら理解というものの難しさを「理解」していません(笑)
たとえば、あなたの身近な人を一人、思い浮かべてみましょうか。
その相手に、こんな期待がありませんか。その期待が外れたときに、笑って受け入れられますか。
話しかけて欲しい、話しかけないで欲しい、優しくして欲しい、気を使わないで欲しい、ハッキリ言って欲しい、よく考えて喋って欲しい、冷静でいて欲しい、もっとハジケて欲しい、不機嫌にならないで欲しい、自由に振る舞って欲しい、私に合わせて欲しい、私が悲しいときには悲しんで、私が笑ったら一緒に笑って欲しい(笑)など、など。
ちょっと両極端な例を並べてみましたが、期待というのがけっこう自分勝手なものだと分かるかもしれません。誰かが自分にこれを向けてきたら、ちょっとうんざりしませんか?
期待は必ずしも悪いものではありません。(期待感がゼロの関係というのも、虚しいものですから)。
ただ、期待しすぎる人は、裏切られる悲しみを絶えず味わいます。
なぜでしょうか。
なぜなら、人は、あなたの期待を満たすために生きているのではないからです(そしてあなたも)。
誰かを理解するとは、
自分と相手は違う目的を持ち、違う世界を生きている
ということを受け入れる(そして諦める)ことかもしれません。
相手に期待するのなら、外れて当然。もしも当たったらステキだな、とワクワク期待するくらいがちょうどいいかもしれませんね。
大切な人だからこそ、期待する気持ちも大きくなる。
大きすぎる期待は、大切な関係を破壊します。
期待を理解に変えることができれば、その悲劇は防げます。
人間関係で苦しくなったら、期待しすぎてないか、チェックしてみると良いかもしれませんね。
葵優太
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