白河ハリストス正教会に行ってきました。
10月18日に白河ハリストス正教会に行ってきました。
前から見学したいと思っていたのですが、その理由のひとつが山下りんのイコン画を拝見したかったのです。
何がきっかけだったのか忘れましたが、彼女の描く慈愛に満ちたマリアやハリストスに魅せられて、自分の目で見たいと思い続けていました。
白河ハリストス正教会は見学に事前連絡が必要なので、いままで二の足を踏んでいたのですが、ようやく決心がついて電話で見学をお願いしました。
緊張しつつ電話をかけると「掃除中ですが、それでもよければお越しください」との電話口の男性の言葉にほっと安心してお礼を述べ、奥さんとパズーと車に乗り込み、さあ、出発です。
須賀川から白河ハリストス正教会までは車で40分程度です。
駐車場に車を止めて、白い壁の美しい建物に近づくと、扉が開け放たれて、なるほど、大掃除の真っ最中です。
脚立の上で作業をしている男性に声をかけると、ひたいに汗をにじませながらも「電話の方ですね」とニッコリ笑顔で迎えてくれました。
なんでも来週に大切な行事で偉い人をお迎えするらしく、そのために大掃除の真っ最中だそうです。
奥では女性がじゅうたんに掃除機をかけているのが見えます。
名簿に記帳してくださいと言われ、字の綺麗な奥さんに任せ、僕はいそいそと奥のイコン画に向かいます。
イコン画というものを初めて目にしました。
正面の壁一面に、マリア、ハリストス、天使、預言者や聖人の絵が26点かけられていました。
その中の、中心に位置する5点が山下りんのイコン画です。
美術館にかかっているような、迫力ある絵をイメージしていたのですが、それは違っていました。
もっと穏やかで、落ち着いていて、建物の中におさまっている。
イコン画がこの祈りの場の主役ではないんだ、ということがなんとなく感じられました。
後で知ったのですが、それがイコン画の本来のあり方でした。
イコン画は神であるハリストスに意識をつなぐための仲介物であり、それ自体を崇めるものではない。
パンフレットにそう書いてありました。
絵を通して、その奥に存在する神を意識し、祈る。
そのための仲介物という控えめな役割が、なんだか好ましく感じました。
迫力があるわけではないけれど、やさしい存在感のようなもので見てくれている、そんな佇まいの絵です。
そして今回、山下りんのイコン画と同じくらい感動したのが、男性が話してくれた数々のお話でした。
ギリシャ正教について、白河ハリストス正教会の成り立ちについて、教会の燭台やイコン画の由来について、
僕の思いつきの質問の数々に、分かりやすく、熱心に、楽しそうに答えてくださった会話の楽しかったこと。
白河ハリストス正教会が、信者の方々に愛され、大切にされ、支えて支えられて、今もなおここに建っているのだ、
それがじんわりと感じられました。
正教会の信者のおうちには、イコン画があり、信者の方はそれに向かって毎日お祈りをされるそうです。
そのイコン画のそばに、なくなった親や先祖の写真を並べたりするというのを聞いて、ああ、仏壇のようですねと言ったら、
私たちは祭壇というのです、無くなるということはお祭りなのです、と話してくれました。
もしかしたら、信者の方にとってはハリストスや神という世界が、
一緒に寝起きして、ご飯を食べて、毎日言葉をかわす家族のような身近なものなのかもしれない、と感じました。
ギリシャ正教会はカトリックに比べて信者数が少ないそうで、こちらの教会も20名ほどです、
とおっしゃっていたのを聞いて、少し悲しい気持ちになりました。
毎週土曜の夕方6時からはお祈りの時間だそうで、電気を消して蝋燭の灯の中、
お祈りの風景はまた格別の雰囲気らしいです。
見学もできるので、よかったらぜひ、と親切なお誘いを嬉しく思いながら、
皆さんにごあいさつをして、すばらしい場を後にしました。
帰りの車でしまった、と思わず声を上げたのが、教会の鐘をついてもいいですよ、という折角のお誘いを忘れてきたことです。
「心が乱れていると、鐘の音も乱れます」という冗談を思い出しながら、鐘をつきにまたお伺いしよう、と思っています。
蝋燭の灯の中、信者の方の歌声が響く、土曜の夜の礼拝の雰囲気も、味わってみたいです。
福島でまたひとつ、楽しみな場所が増えました♪
葵優太
”山下りんのイコン画”とも合わせ、素晴らしいブログですね。